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2013年05月30日(木)

良し悪し

こんにちは。大野秀樹です。毎年のようにこの季節になると書いていることと思いますが、紫陽花が本当に綺麗にいたるところで咲き始めました。特に京王井の頭線沿いなどは、色とりどりの紫陽花が植えてあり、電車に乗りながらの中々の絶景です。ちょうど今頃の、少しまだ小さめの淡い感じのころが最も好きです。 それでいて、なぜかはわかりませんが、同時に保育園のころのお誕生会で紫陽花のかぶりものをつけて皆の前に立つときの嫌な感じも思い出すのです。

元々、いいこと悪いことというのは、両面が背中合わせになったひとつのもので、それも解釈ひとつで認識が変わるようなものですから、この時点の良し悪しは、たいした問題ではないと思います。それこそ誰にでもある長所や短所が、それぞれの比率で存在しているというような具合で。

善人でありたいと思うことや、善行を行なうことが悪いとは思いませんが、しばしば過剰な善人のような振る舞いの為に、内部に大きな無意識的な苛立ちを抱えている人を見ることがあります。まだ苛立ちが見えるのは健全で、それでもまだ、意識がその無意識の欲情を抑えつけようとし、見境無く善人を続けたとき、その人にとっての良し悪しは失われ、何でも良い、誰でも良い、そのくせ自分にとって好都合なことしか好まないという人が出来上がっていくように見えます。それほど善人のような行いというものには、よくしたたかな要求というのが隠されているためと思います。

固有の個が健全にすくすくといられる程、世の中の常識のようなものが寛容でない事もよくわかりますが、やはり、ふと人と仲良くなれたりするのは、そういう固有の個の部分が触れ合ったりする時です。

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