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2020年06月01日(月)

祝!100回目!

みなさんこんにちは、佐藤愛子です!

毎週月曜日はあいこの日!

 

本日いよいよ

100回目の投稿になりました

 

いつもご覧くださっている皆様、ありがとうございます

自己満足的な、今のリアルな自分の備忘録的な感じでブログを綴っておりますが、今回は区切りの良い回なので、いつもより内容をよくよく考えていました。

 

超ダンストラウマ時代と、恩師の話

 


 

社交ダンスを始める以前はクラシックバレエを習っていました。

始めたのは5歳の頃。キッカケは姉の真似っこでした

 

恩師というのは当時のバレエを指導してくださっていた先生のこと。

スタジオに1人のおばあちゃん先生。小さいスタジオでした。

 

バレエ時代は5歳から18歳までの13年間。

実は正直、思い返しても嫌な思い出しかありません

そればかりではないはずなのですが。。

 

 

練習をする。レッスンに行く。先生に怒られる。泣きながら帰る、の繰り返し。

泣いて帰るのがバレたくなくて、玄関からニコニコして家にあがったこともあったっけ

 

 

コンクールに出ても入賞した経験は数回程度で、大した結果は残ったことはありませんでした。社交ダンスでいう、いつも1パツしてる感じ。笑

箸にも棒にも引っかからないとはまさにこのこと

 

いま思い返せば(いや。もっと出来たろ〜。甘えるな〜。)と思いますが、当時の自分にとっては精一杯やってました。

中学・高校の頃は憧れの部活には入らず、友達ともあまり遊ばず、バレエに捧げてスタジオに通っていたのに、こんなに頑張ってるのに、こんなにやってるのに結果が伴わない。なんでだろう。なんて、自分で自分を追い詰めすぎて、完全に劣等感のカタマリ状態でした。

 

楽しかったはずのバレエがトラウマになり始めて

人に見られることが怖いと思うようになって

本番はいつも実力が発揮できずに失敗。

そんな感じ

 

でも不思議なのがここまでダメでも

辞めなかったことと(辞めようとは何度も思った)

スタジオ変えようは思わなかったこと。

 

 

なぜ辞めなかったのかと記憶を辿ると

(両親が支えてくれていたから。という大前提)

私に残っているのは意地だけだったと思います。

 

辞められる理由を探してるクセに、辞めたら自分を許せないだろうと思っていました。

あとは、自分以外の人から言われる「頑張ってね、期待している」という言葉はありがたいと思うどころか「もう頑張ってるわ…!!!」と心の中ではねつけて、そんな無責任なことを言う人たちを見返してやりたいと。笑

 

ひどいですよね〜〜。。

でも当時の私の本心でした

 

 

さて、ここでやっと出てくる恩師の話ですが、

残念ながらこの病んでいる思春期あいこに優しく寄り添って、心身ともに支えてくれる…ような先生ではありません。

むしろ更なるどん底のどん底に突き落とさんとばかり。相変わらずの厳しいレッスンでした。笑

 

今思うとこれで雑草精神すごい鍛えられていたんだな〜と???

心臓から毛がボーボー伸びていました???

多分私はバレエ云々よりも

先生そのものに食らいついてやっていたのだと思います。

 

根性曲がっていると日付が変わるまでお説教。それからバーレッスンが始まったこともありました。

(帰りが何時になったかはご想像にお任せ…)

 

ただただ歯を食いしばっていた。

という嫌な記憶が自分に残っていますが

実はここ1,2年で、恩師への気持ちが

初めて感謝に変わりました

 

 

ダンスは楽しく、のびのび踊るもの

自己表現をする最高の手段

という、モットーが自分に染み付いていることに気が付きます

 

心の沸き立つ感情を表向きに出す私のダンススタイルは

自分自身を抑え続ける期間から解放された反動なのでしょうね

 

 

深夜までレッスン(お説教)を受けていた話。

見方を変えれば80歳を超えていたおばあちゃん先生が、よくそこまで身を削って教えてくださっていたなと思います。

 

だから自分が先生の時には

とにかく自分の今持ってる全部を使って一生懸命教える。

生徒さんの出来ない悩みや苦しさに徹底的に付き合う。

どうしたら上達できるのか本気で考える?

 

自分では気付きませんでしたが、生徒さんに「一生懸命教えてくれて嬉しい。」と言っていただいたことがあって、それって「やろうとしていること」ではなくて「やっていた」ことだな〜と思ったのです。

 

先生はいつも厳しかったし、たまにめちゃめちゃ理不尽に怒られましたが

今となってはそれは笑い話で、いつも変わらず熱心にご指導頂いていたので、先生が私に身を以て教えてくれていたことなのでしょうね。。

 

今では自信を持って「自分のいいところは一生懸命さです。」と言えるのがありがたいですし、知らない間に私は先生の真似をしていたみたい

悔しいような、嬉しいような不思議な気持ちでした。笑

 

食いしばって辞めませんでした。という話をしましたが、

最終的になぜバレエから社交ダンスに転向していまこの道にいるかというと、

 

社交ダンスに出会う大学入学前に

大型台風でスタジオの屋根が飛ぶ

という、事件をきっかけにスタジオが物理的に無くなったからなのです。

 

人生の分岐点って、本当に不思議ですよね〜。

 

 

今は亡き私の恩師。

夢に出てこられそうなので最後に付け加えますが、

誰よりも厳しかったけど、元気で美しくて尊敬する先生でした。

 

生きてる間に

先生、ありがとうございました。頑張ります!

って伝えたかったなあ〜。

 

 

 

また来週

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